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2024-10-02 19:36:00

今日はチャールズ・ダーウィンが5年間の航海から帰国した日

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ダーウィン「進化論の父」の大いなる遺産(1,100円)

 

 

今日は、進化論で有名なダーウィンが、5年間にも及ぶビーグル号の航海から帰国した日とのこと。

5年間もの航海。

私には無理です。

ダーウィン、すごいですね。

というわけで、今回はチャールズ・ダーウィンについてまとめたいと思います。

 

 

医師である父を持つダーウィンは、6人兄弟の5番目の子として生まれました。

しかし8歳の時に母が亡くなり、幼い姉たちを母親代わりとして育ちます。

幼い頃から収集癖があったダーウィンは、貝殻や鉱物を集めて楽しんでいましたが、父が園芸を趣味としていたので、小さな庭を与えられていたそうです。

そんな小さい頃から、科学者としての芽が育まれていたわけですね。

 

16歳の時に親元を離れ、エディンバラ大学で医学と地学を学びます。

しかし麻酔のない当時の外科手術にたいして抵抗があり、また自然に興味を持っていたことから、18歳の時に退学します。

ちなみに2学年目には、当時論争状態にあった進化思想について知ることになります。

 

父により18歳の時に、牧師となるべくケンブリッジ大学に入学させられます。

牧師になれば自然と触れ合う時間がよりたくさん持てると思ったダーウィンは、喜んでこれを受け入れたそうです。

この頃、聖職者であり博物学者であるヘンズローと知り合い友人・弟子となっています。

ヘンズローは後のダーウィンの活動に最も影響を与えた人物として知られています。

二人はよよく、ヘンズローが学内に開いた庭をそろって散歩していたそうです。

当時のダーウィンは、「神がすべての生物を完璧にデザインした」というデザイン論を信じていました。

また、ジョン・ハーシェルや、アレクサンダー・フンボルトに刺激を受け、同級生たちと地質研究の旅にでる計画を立てています。

この頃、ビーグル号による探求の旅の準備を進めています。

 

22歳の時にケンブリッジ大学を卒業。

後の回想の中で、ダーウィンは「大学生活で得たものは何もなかった」と述べています。

そんなわけはないでしょうに、と思ったりします。

 

ケンブリッジ大学を卒業した22歳の年に、海軍の測量船ビーグル号に乗船することが決まりました。

ビーグル号の航海は5年間に及ぶものでしたが、この5年間のあいだに、ダーウィンは、後の進化論につながる発見をしています。

航海の途中の詳しいあれこれについてはwikipediaをお読みください。

 

帰国するとヘンズローのはたらきにより一躍有名人となっていたダーウィンは、航海中に収集したあれこれをコレクションするために、ケンブリッジに移ります。

28歳の時には、仕事がしやすいロンドンに移り住み、科学者の輪に加わっています。

その後、ダーウィンは航海記録やコレクションをまとめる長い研究生活に入ります。

このころ、根を詰めすぎたのか、体調不良に苦しんでいます。

 

29歳の年に、地質学会の事務局長に推薦され、これを受けています。

この頃、研究のしすぎからか、更なる体調不良に苦しんでいます。

原因は分かっていません。

 

30歳の年に、兄の結婚に影響を受けてプロポーズし、結婚しています。

この時の走り書きに、結婚した際のメリットとして、「永遠の伴侶、年をとってからの友人……いずれにせよ犬よりまし」と書き、デメリットとして、「本のためのお金が減る、おそろしいほどの時間の無駄」と残しています。

若き日のダーウィンの切実な悩みだったんでしょうね。

今の時代の偉人も、かつては一人の人間だったことがうかがい知れて、クスッときますね。

この頃には、ダーウィンの信仰心は消えており、妻への手紙の中でもそのことが記されています。

 

46歳の時に、王立協会からロイヤル・メダルを受賞し、生物学者としての名声を確立しています。

 

晩年は、年をとっても研究を続けていたことが記録に残されています。

73歳の年に亡くなっています。

 

 

ちなみに、ダーウィンの言葉として「最も強い者が⽣き残るのではなく最も賢い者が⽣き延びるのでもない。 唯⼀⽣き残ることが出来るのは変化できる者である。」という言葉が紹介されることがありますが、これはダーウィンの言葉ではなく、経営学者メギンソンの解釈が流布したものらしいです。

 

 

以上、今回はダーウィンについてのまとめでした。

いやはや、偉大な人物ですね。

そしてとても幸運な人物だと思います。

なにせ裕福な家庭に生まれ、病気もせずに育ち、大学で充実した生活を送り、5年にも及ぶ船旅で生き残り、帰国してからも科学者として名を馳せつつ研究にいそしみ、結婚して家庭を持ち晩年は家族に見守られながら(おそらく)息を引き取ったのですから。

そんな彼にも様々な悩みがあったのでしょうが、それは歴史の表舞台にはあがってきませんね。

一体彼はどのような人間だったのでしょうか。

彼の口癖は何で、何を好んで食べて、どんな葛藤を抱いていたのでしょうか。

wikipediaには書かれていないそんな部分を想像してみるのも面白いかもしれません。

 

それではみなさまも、よき進化ライフを!

ではまた!

 

 

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ダーウィンの呪い(1,320円)

 

 

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