前回と前々回のブログでは、地質年代の分類を2層ほど深掘りしたのでした。
今回は3層目まで降りたいと思います。
まずは冥王代。
冥王代は、生物が誕生する前の区分でした。
なのでそもそも枝分かれはしません。
次の太古代は、前回、4つに分けられました。
しかし、それ以上分けることはできないのでここで書くことはありません。
次の原生代は、前回、古原生代・中原生代・新原生代の3つに分けられました。
今回は、さらに枝分かれが進みます。
しかし、あまり有名ではない時代区分(細胞単位の生物がどんどん進化していく感じ)なので、詳細は割愛したいと思います。
最後の顕生代は、前回のブログで、古生代・中生代・新生代の3つに分けられました。
カンブリア爆発以降、目に見える生物の進化と絶滅の歴史なので、ダイナミックかつワクワクしながら学べます。
今回は、古生代と中生代の枝分かれを詳しく見ていきたいと思います。
まずは古生代ですが、以下の6つの「紀」に分けられます。
次は、みんな大好き恐竜の時代、中生代です。
中生代は、以下の3つに分けられます。
最後の新生代は、我々人類が出現する時代です。
大きく3つ分けられ、それらが更に分けられます。
長くなるのでそれらはまた次回にまとめたいと思います。
それでは皆様、よき地学ライフを!
ではまた!
前回のブログでは、地球46億年の歴史を、生存していた生物の特徴に合わせて4つに区切ったのでした。
今回は、それらを更に分割していきます。
まずは冥王代。
冥王代は、生物が誕生する前の区分でした。
なので、これ以上分けようがありません。
次に太古代(かつては始生代といいました)。
太古代は以下の4つに分けられます。
次の原生代は、3つに分けられます。
最後の顕生代は、以下の3つに分けられます。
以上、ざっとまとめてみました。
これを更に分けることもできます(ジュラ紀とか白亜紀とか)。
次回はそれらをまとめたいと思います。
皆さまも、よき地学ライフを!
ではまた!
最近、哺乳類だとか両生類だとかをブログにまとめていたので、生物自体をまとめたいと思い出しました。
そこで、学生の頃に学んだ地学を思い出し、これから数回に分けて、地質年代についてまとめたいと思います。
地質年代とは。
地球46億年の歴史のうち、人類が文字にして歴史を残している時代より前の時代(先史時代)の区分のことです。
地質年代は、大きく分けて4つの「代」に分けられます。
覚える年号としては、46億、40億、25億、5億4,100万年の四つです。
今回はこの4つの「代」を覚えたいと思います。
次回は各「代」を更に分割していきます。
皆さまも、よき太古ライフを!
ではまた!
いつものようにX(旧ツイッター)を眺めていると、「もうお彼岸だねぇ」といったつぶやきが流れていきました。
へー、もうお彼岸なのか、と思う一方で、そもそもお彼岸とは何ぞや?という疑問がむくりと頭をもたげてきました。
というわけで、今回はお彼岸についてまとめてみました。
お彼岸。
仏教ぽいイベントですが、なんと日本独自の風習なのだそうです。
インドや中国にはないんですね。
さて、具体的には一年のうちのある期間のことを指すのですが、春と秋の二回あります。
春のお彼岸も、秋のお彼岸も、由来は同じです。
仏教では、西方にあると言われている先祖たちの住む「彼岸」と、我々俗人の住む「此岸(しがん)」がありますが、この彼岸と此岸が最も近づくのが、昼と夜の長さが同じである春分と秋分の日と言われています。
春分の日と秋分の日は、太陽が真東から昇って真西に沈みますが、古来の人は、真西に沈む太陽を拝むことで、西方の浄土に思いを馳せたとされています。
そのような民間信仰が仏教と結びつき、現在の春と秋のお彼岸の風習になったと言われています。
お彼岸が出てくる最も古い文献が、『日本後紀』で、日本で初めて仏教行事として彼岸会が行われた事実が記されています。
それによると、不遇のうちに死んでいった早良親王の恨みを鎮めるために、延喜26年(806年)に読経が行われたようですね。
そんな古くからある風習なんですね。
そんなお彼岸ですが、具体的には一体何をするのか、皆さんご存じですか?
私はなんとなく仏教的な風習なんだろうなといった程度の知識しかなかったので、まったく知りませんでした。
具体的には、以下のようなことをします。
最後の「おはぎ」と「ぼたもち」の違いですが、実体は同じで、どちらも、もち米とうるち米を混ぜて蒸すもしくは炊いたものを、餡で包んだものです。
一説によると、春の彼岸に食べるものを「牡丹餅(ぼたもち)」、秋の彼岸に食べるものを「お萩(はぎ)」として呼び名を分けているそうです。
最後に、彼岸にまつわることわざを一つ。
「暑さ寒さも彼岸まで」
これは、夏の暑さも、冬の寒さも、彼岸までで、彼岸を過ぎたらどちらも緩やかになる。
という意味です。
私はこのことわざだけ知っていました笑
今回のまとめに利用させていただいた参考サイトは以下になります。
今年の秋のお彼岸は、中日(秋分の日)が9月22日で、「彼岸入り(彼岸の始まり)」が9月19日(木)、「彼岸明け(彼岸の最終日)」が9月25日(水)とのことです。
ここでまとめた知識を定着させて、ご先祖様に思いを馳せつつおはぎでも食べようと思います。
皆さまも、よきお彼岸ライフを!
ではまた!
今日は敬老の日です。
というわけで、敬老の日の由来が気になり、いつものようにwikipediaを開きました。
調べてみると、なんと敬老の日は、戦後にできた祝日とのこと。
意外に歴史が浅くて驚きました。
具体的には、1947年9月15日に、兵庫県多可郡野間谷村という場所で、当時の門脇村長が「敬老会」を開いたのがはじまりです。
当時は戦後直後で、子供を戦地へ送り出した親たちの疲労が極致にあり、そのことから門脇村長は、親世代をいたわる気持ちでこの会を催しました。
なぜ9月15日かというと、農閑期でしかも気候が良いから、という理由だそうです。
会の名前の由来は、『古今著聞集』にある「養老の滝」の伝説。
そんな「敬老会」ですが、ポンとすぐに国民の祝日になったわけではありませんでした。
1948年7月、子供の日と成人の日が「国民の休日に関する法律」に制定されるも、老人の日は制定されませんでした。
そのことから村長は奮い立ち、兵庫県の各市町村に声をかけるなどして、老人の日を広める運動を始めます。
1950年、兵庫県は「としよりの日」を制定します。
1966年、国民の休日に関する法律の改正に合わせ、はれて「敬老の日」が制定されました。
今の敬老の日は、門脇村長をはじめとする、当時の運動に携わった方々の努力の結果なんですね。
感謝したいと思います。
現在はハッピーマンデー制度により9月の第三月曜日になっている敬老の日ですが、2000年までは9月15日でした。
それは門脇村長の始めた敬老会が開催された日だったからなんですね。
今日は70を越える私の父も、町内会から敬老の日のプレゼントをもらったと言って喜んでいました。
こういう具合に地域の活動が活発なのも、元が敬老会という地域で催された会だったからなのかもしれませんね。
今回は敬老の日についてのまとめでした。
ご両親がご存命の方も、そうでない方も、今日は自分より年上の方々に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
みなさまも、よき敬老ライフを!
ではまた!